変えるヒト、変わるヒト。-新しい社会貢献のカタチ-

1973年神奈川県生まれ。慶応大学卒業後、NHK入社。3年間報道記者として勤務。
退社後は日本映画学校で講師をしながらドキュメンタリストとして活動する。
2003年イギリスのミドルセックス大学院に進学、持続可能な開発とリーダーシップコース修了。
帰国後、フリーランスのサスティナビリティー活動家としてドキュメンタリー制作やイベントMC、各種講師など様々な分野に携わる。 
2006年に長女を出産後もオシャレな古着の交換会xChange主催、鎌倉を持続可能にするNPOかまわなどで地域活動を展開。現在、J-WAVEのLOHAS SUNDAYのナビゲーターとしても活躍中。

00 プロローグ

社会には2種類の女性がいる。
年齢を嘆く女性と、年齢を輝きに変える女性。

しなやかな風を感じさせる雰囲気と日に焼けた笑顔。
記者として、ドキュメンタリストとして、学生として、フリーの活動家として、そして母として。
がむしゃらに、時にゆったりと丁寧に重ねた経験は、時間をかけてこその光が宿っている。

今回はそんな自分の人生を見つけた「女性」の生き方を紹介しよう。

01 走る、飛び回る

「20~30代前半ですか? それはもうひっちゃかめっちゃかでした。脇目も振らず、周りの目を気にせず、自分の好きなこと、やりたいことをそれはもう、やみくもにやっていました。」

大学卒業後、丹羽はNHK奈良放送局の報道記者になる。
幼少時代をアメリカで過ごし、高校では1年間海外留学。
それ以外にも様々な国へ旅行をしていたという丹羽は日本の文化が色濃く残る土地で働いてみたかったと、自ら奈良への転勤を願い出た。
「3年間、警察取材、地元の街、祭りネタから殺人事件、火事まで本当に走り回って取材していました。報道や映像制作のイロハはその時に勉強させていただいた、という感じですね。」

元々1つのことを熱心に探求して積み上げるタイプではなく、いろいろなことを経験してみたいという想いが強かった丹羽は記者という仕事を心から楽しんで3年間駆け抜けた。

「当時、小型カメラやネットの発達など技術的に個人放送局のように個人個人が情報を発信できる環境ができつつあり、大きな企業という中でよりも個人で情報を発信する、ということの方に可能性を感じるようになりNHKを退社しました。若気の至りもあったと思います(笑)。あとで、やっぱり辞めなきゃよかった~!! と思うこともありましたから。」

今となっては今の自分の人生でよかったと丹羽は振り返って語る。

何をやるのかやらないのか、人生は選択の連続。
ただし、その決断を良かったと思えるかどうかは、その後の自分と生き方次第なのだ。

02 常識を、疑え。

丹羽は記者時代、NHKを辞めるきっかけになった1つの作品に出会った。
森達也氏と作品「A*」だ。
*「オウム真理教」に対するマスコミの一方的な報道に疑問を抱き、独自の視点からオウム真理教信者達の日常を追ったドキュメンタリー映画。

それまでオウム真理教は一方的に私たちの社会から側の視点で報道され、それが真実だとされていたが、その作品に描かれていたのは私たちの社会こそ先入観がたっぷりで、決めつけられた社会だったというもう1つの真実。丹羽は愕然としたと言う。

「NHKという肩書で物を見るのではなく『自分自身』がどこに視点をもって、何を見るのかということがいかに大切か思い知らされ、森さんに惚れ込みました。NHKの退社後、『何か自分に出来ることがあったら使って欲しい。』と飛び込み、一緒にドキュメンタリー制作を行ったりしていました。」


その後、森氏の友人である安岡卓治氏の紹介で日本映画学校の講師を3年間務めることになる。
「それはもう、はちゃめちゃな授業をしていましたよ。脚本指導、といっても脚本書いたことなかったですから。
それに小手先の技術を教えてもしょうがない。
技術的なことよりも『常識を疑え』というもの作りの基本にある哲学や、『これから何をやっていきたいのか』と学生ととことん向き合う、ということを行っていました。
講師というより、同じ目線で物事を捉えることのできる型にはまっていない先輩。という感じだったなと今では思います。」

世間の目にどう映ろうともその時々の自分の感覚を信じていたという丹羽。
「いい会社に入ったのに勿体ない。」という両親の言葉や「講師なのだから先生らしくしなければならない。」という固定観念は吹き飛ばし、自分を信じて進み続けた。

03 サスティナビリティーとの出会い

講師をしつつ自分のライフワークとしてもっと「コア」なものが欲しい。
そう考えていた丹羽にチャンスが訪れた。
大学時代にお世話になった教授の紹介で、国際NGOのスカラーシッププログラムを知り、イギリスの大学院へ行くことになったのだ。
コースはサスティナビリティーとリーダーシップ。

「ロンドンへの留学は本当に転機になりました。その大学院は座学ではなく、日本とイギリス双方でインターンをする、というプログラムだったのです。
NPO・NGOなどの市民セクター・行政・企業の3つで1~2カ月ずつ計6カ所でインターンをしました。日本とイギリスを比較し、何が足りないのか、何を日本は変えていかなければならないのか、徹底的に見て、経験して、考えました。」

広く、かっこいいオフィスに所狭しと並べられたデスクで様々な専門分野を持った人が勤務するイギリスのNPO。
資本主義へ転換してから数年にも関わらず、大量生産の社会に対して警告を鳴らして活動しているハンガリー人の友人。刺激的な社会と、人との出会いの連続だった。

丹羽は考えた。どんな人も変えることができるライフスタイル、それは『消費』である、と。
この学びが現在、丹羽が発起人となって広まった古着の交換会、 xChange に繋がっている。

04 最高のクリエーション

帰国してからフリーランスで活動を開始した丹羽。
人の紹介やブログを読んで下さった方からのオファーでイベントのトークをしたり、企画を手伝ったりと徐々に仕事が来るようになってきた矢先、今度は自分の妊娠に気付いた。

「子どもを授かったこと、出産をしたことは人生で最もスピリチュアルで大切な経験でした。
自分は命を紡ぐという最高のクリエーションをしたし、これ以上何も創りだす必要はない。
もうすべてを手放していいと思ったし、何より自分自身に強くOKを出すことができたのです。」

想像もできない程遥か昔から繋がる命。
自分にはご先祖様がいて、自分に命を与えてくれた両親がいて、そして自分に新しい命が宿っている。
人間の悠久な営みを理屈ではなく、実感することができる出産と子育て経験は丹羽に大きな気付きを与えた。

「私の本当の『サスティナビリティー』は出産をしてから始まったと思っています。命を繋ぐ、ということを自分のど真ん中で軸として持ったときに食事、教育、安全、地域から人のつながりまでどうしていきたいのかということをもう1度見つめ直すことになりました。」

地域活動に参加したり、子育ての日々をブログに綴るなどゆっくりと、スローダウンをした生活をしていた丹羽。
ただしイギリスで学んだ経験と地に足をつけた丁寧な暮らしをする丹羽に、仕事は徐々に舞い込んでいくようになり、現在の丹羽のフリーランスとしての活動の基盤が創られていった。

05 スモールイズビューティフル

xChangeやNPOかまわ、えこたおなど現在も様々なプロジェクトを手掛ける丹羽。
その原動力であり、丹羽の礎となっている言葉や人の出会いに関心が湧く。

「人で言えば思想家のガンジーやサティシュクマール、経済学者のシューマッハーです。
シューマッハーは『スモールイズビューテイフル』という哲学で知られており、『大きければ大きいほどよい』という考えを意図して捨て去り、物事には適正な限度がある、ということを1960年代後半に既に提唱しています。
『スモール・イズ・ビューティフル 人間中心の経済学』という本はとてもおすすめですよ。」

いろんな国を飛び回っていた丹羽だが、グローバルな問題を目の辺りにすればするほど、自分の足元を固めること、身近な地域を変えていくことの重要性を感じるという。

丹羽は現在、地元鎌倉で素敵な仲間に囲まれ、地域活動にハマっているそうだ。
一部の人がいいことをしよう!!と集まった草の根活動ではなく、政策を作り、行政を巻き込んだ最高にクリエイティブで面白い活動。

シューマッハーの言う「理屈の届く小さな地域」を丹羽はとても大切にしている。

06 未来の創り方

様々な分野でボーダーレスに活躍する丹羽だが、活動を選ぶときの価値基準があるという。
それは『お金を基準にしない』ということ。
それは現在、丹羽の活動の中で最も広がりを見せている xChangeでも伝えられている。

「xChangeは古着の交換会ですが、経済とは何か。お金とは、幸せ、豊かさとは何か。人のつながりや未来の暮らし方はどんなものか。という大きなテーマを内包しています。 xChangeでつけるのはプライスダグでなく、エピソードタグ。その服をこれまでどこで買ってどういう想いで身に着けていたのか。『想い』をやりとりすることができ、お金ではない心の交流を感じることができます。」

ロンドンで学んだ「消費」を変えるというライフスタイルと精神的な豊かさを紡ぐ仕掛け。
もちろん家賃を支払ったり、食べていくのにお金は欠かせないものなのだが、貨幣を介さずもっと人間的な営みでできることがあるのでは、と丹羽は続ける。

「私が提案するソリューションの1つはxChangeが象徴する物々交換です。
さらに言うなら例えば私が英語を教える代わりに、誰かが私に必要な物を提供してくれる、というように人のやりとりでできることも多くあると思っています。
何かを始めるときにお金という枠組みは一旦外してみる、これは自分の価値基準になっていますね。」

私たちもふと足を止めて、未来に想いを馳せてみよう。
10年後、20年後。未来を創りだすのは紛れもない「私たち」なのだから。

07 エピローグ

「今は1番子育ての時間を大切にしています。子どもは「今」を逃すともう2度と小さくはならない。彼女とのかけがえのない時間を丁寧に育みたいと思っています。」

決してかっこよくなくていい、と丹羽は言う。自分で野菜を育てたり、時間がかかっても近所の人とコミュニケーションをとること、そういう泥臭いことが好きなのだ。
そして小さくても社会に働きかけること、命を丁寧に紡ぐこと、子どものための未来を創ること。

サスティナビリティー(持続可能性)とは何だろうか。
それは人を愛し、生命を慈しみ、次の世代へ繋げる人間の営みを再び見つめなおすことなのかもしれない。

丹羽順子さんから、あなたへのメッセージ

ホームページはこちら
>> http://www.junkoniwa.net/

xChangeの詳細はこちら
>> http://letsxchange.jp/

NPOかまわの詳細はこちら
>> http://kamawa.net/