特定非営利活動法人 夢職人 代表理事 岩切準さん

特定非営利活動法人 夢職人 代表理事 岩切準さん

1982年、東京都三鷹市生まれ江東区育ち。
高校卒業後に就職をするが、自分の人生を模索するなかで心理学を学ぶため大学を経て大学院に進学し社会心理学を学ぶ。平成16年、大学在学中に任意団体夢職人を設立。平成20年にNPO法人化。東京都江東区を中心に異年齢集団での野外教育活動、スポーツ・レクリエーション活動、文化・芸術活動などの多彩な社会教育活動を行う。現在、国籍や世代を越えた幅広いバックグラウンドを持つメンバーが地域における教育活動の実践に取り組んでいる。

プロローグ

 東京都江東区。この情緒あふれる下町で1人の青年が子どもたちと一緒になって笑っている。彼の名は岩切準(いわきりじゅん)。社会教育を行う教育分野の特定非営利活動法人 夢職人の代表理事だ。はじめてお会いしたのは、2008年11月。緊張しながら待ち合わせ場所に到着した私に満面の笑顔を振りまいてくれた。あれから4ヶ月。忙しいなかで無理をいってお時間を作っていただき、彼の活動とその素顔に迫るインタビューが始まった。

起業前夜

 岩切は江東区に育った。下町の濃い人間関係のなかでは、親や先生以外の大人とかかわる機会がとても多かったと彼は振り返る。たとえば、地域のおじさんと週末に釣りにいっては、親や先生には話せない秘密話をしていた。親や先生はどうしても利害関係があるからいいにくいこともある。そんなとき、話を聞いてくれるのが近所のおじさんおばさんだった。地域の人々がみんなで協力しあって、成長を支えてくれていた。

 高校生になると、友達に誘われて地域の野外活動をおこなうクラブに参加した。クラブとはいわゆる夏のキャンプや冬のクリスマス会などに代表されるような子供会だ。そこから岩切の子どもたちとの接点がはじまることとなる。子どもたちとの野外活動にどんどんのめりこみ、気づいたら高校3年間は活動に没頭していた。

高校卒業後には、オフィスの内装や都営大江戸線の工事など、いわゆるガテン系の仕事に就いた。ここで岩切はある体験をする。それは、一般的にいわれる「ホワイトカラー」が「ブルーカラー」である岩切らにたいしてこういったのだった。

「キミたちは汚いから、資材を運ぶときはエレベーターを使ってはいけない。」

もともとやんちゃ坊主であり、曲がったことは嫌いだった岩切は、こんな社会に疑問や憤りを持ちはじめていった。そんな職場ではあったが、親方や現場の先輩と話す機会も多く、普通に大学にいっていたら、到底出会えなかった人達に囲まれるなかで、自分の人生やどう生きていくべきかということを強く考えるようになる。日雇い派遣の人や、様々なバックグラウンドを持つ人達から、「キミはまだ若いし、これからどうしていきたいんだ?」と聞かれるようになっていった。こんな日々のなかで次第に、高校時代の「子どもたちへの社会教育」という取り組みは、非常に意義のあるものだったのではないだろうかと考え出すようになる。

武者修行時代

 1年ののち、岩切は大学に通い始め、心理学に没頭しはじめた。大学院では社会心理学を専攻し、社会や人の心の変化など目には見えないものを調査や実験を行い可視化する技法や集団力学などを学ぶ。その後はとにかく子どもに関連した活動を展開するNPOに顔を出し続けた。他のNPOがどういう子どもに関する活動をしているのかに強い興味があったからだ。このときの時代を、武者修行時代と位置づけて呼んでいるほどだ。多くの団体に参加するなかで、自分の興味関心がやはり「地域教育」であるということに気づくと同時に、将来はカウンセラーとして働こうと考えていた岩切に一つの疑問がでてきた。

「クリニックや病院には、日々大勢の患者が訪れている。毎日毎日、たくさんの患者を相手にすれば、どんなに優秀な先生でもさすがに疲れてしまう。自分がこのなかにカウンセラーとして働くことで、はたしてこの問題が解決できるのであろうか。」

問題がおこってから対処療法的に解決のために活動するのではなく、病院やクリニックがなくても大丈夫な社会づくりをいかにおこなっていくか。つまり「予防」が大事なのではないかと考えだしたのである。

しかし、現実の壁は大きかった。本来この分野で活躍すべき行政は、ほとんど機能していない。ならば自分に何ができるのだろうか。

転機

 悶々とした日々をすごす岩切は、ふと、大学3年時に出会ったあるシングルマザーのことを思い出していた。それは、彼の転機といってもいい出会いだった。看護士として働くこのお母さんは土日出勤もすることがあり、悩みがあった。

「2人の子どもを土日に預かってくれる場所がないし、本来父親が体験させてあげるようなことを体験させてあげられていない。」

これを機に岩切は子どもたちをつれて近所の川の土手で遊ぶようになる。これにはシングルマザーのお母さんは大喜びだった。自分が子どもたちと遊ぶなかで、現場にはいろんな悩みや困ったことがあり、ニーズを体当たりで感じるようになっていく。

大学院を卒業した後には、就職活動もおこなった。そのなかでこれから自分が時間をかけてやっていくべきことは何かという迷いもあり、とにかく様々な会社をまわり、多くの企業から内定までいただいた。内定を得たなかで、頭をよぎったものは子どもたちの存在だったと彼はいう。

「子どもたちには、責任を持って物事に取り組むようにと日々伝えてきたんです。でも、就職して別の生き方をすることで目の前の活動を辞めてしまうことは、僕が子どもたちに教えてきたことと矛盾するのではないかと思いました。子どもたちから、岩切は矛盾してる!なんていわれたくなかったですからね」

ずいぶん回り道をしてきた。でもその回り道をしたからこそ気づくことがある

就職活動を通じて、企業でも地域社会でも、求められている人材像は同じ。それは、目の前の問題に周囲と手を取り合いながら、根気よく課題解決に取り組んでいく存在が必要だということ。そういう意味で、自分が育てていこうとしている子どもたちの「社会性」こそ、将来的にも社会にとって非常に重要なことだという確信を持っていた。

岩切は高度なマーケティングテクニックや経営論などの方法論から起業した社会起業家ではない。「大学時代は起業なんて考えたこともない」と彼は常に語っている。むしろ彼自身が現場に入り、現場の目線で目の前に存在する様々な悩みや苦しみに気づき、向き合ってきた。その過程では、「もっと自分を必要としている人がいるのではないか」と考えるようになると同時に、個人だけで活動を続ける限界を感じ出したのもこの時期だ。ついに決心をし、これらの問題に組織としてむきあっていこうと決めたのだった。高校時代の仲間とともに大学在学中に立ち上げた任意団体夢職人は、2008年NPO法人となり、大きな成長への一歩を踏み出すこととなった。

社会起業家という人々

「使命感のほうが強かったんです。自分がこの分野に取り組まなくてはいけないという・・・。目の前に課題があるからその山を登りはじめました。たぶん、食べていくことを先に考えていたら夢職人はやっていなかったと思います。」

岩切の心はあるコトバによって支えられている。一緒に遊び、育ててくれた地域の「おやじたち」の言葉だ。岩切が子どものころ、感謝の言葉を述べようとすると、「おやじたち」はいつもこう言った。

「今度はキミが子どもたちのために、いつか同じことをしてあげなさい。」

この言葉があったからこそ、自分の使命感と生活を両立させるためにはどうすればいいのか、ということを常に考えるようになったのだ。とはいえ、世の中はそれほど甘くない。現在の社会では、どうしても「社会にイイコト=食べることができない仕事」になってしまう。学生時代にアルバイト代をほとんど活動に費やしていたから、経済的にもアルバイトをしながら活動を続ける難しさは痛感していた。また多くのボランティアをやってきたからこそ、ボランティアでやれることの限界も痛いほどにわかっていた。

「いったい、どうしたら収入がついてくるのだろう?」

この問いこそが、岩切を「社会起業」という分野に結びつけることになる。社会起業とは、社会的課題を事業で解決していくことである。アメリカや日本の社会起業の事例をみていくなかで、これならば生活と両立しながら、子どもの社会教育を行うことができるのではないかという希望を持つことができた。

ただ、問題もあった。そもそも社会教育に関するプログラムを考えるのには自信があった岩切だったが、経営はまったくわからない。「マネジメント?マーケティング?」こんなありさまだった。そこで岩切は、物事を継続していく力や発展させていく力は企業が持っているわけであり、それらを学ぶことは子どもたちのためになるという想いから、とあるNPOが行っている、社会事業を専門家とともにブラッシュアップしていく活動に参画したのだった。その経験が夢職人に大きな変化をもたらした。
自分の考えを研ぎ澄ましていく作業は、事務所の机の上ではできない。ビジネスの専門家たちから「キミはどうしたいんだ?」と問いかけられることで、次第に、自分が目指していきたいところはどこか?やるべきことはいったい何か?ということが明確になっていった。それはスキル習得の場ではなく、NPOとして活動するために、もっとも大切なミッションやビジョンの明確化。さらには、それを達成するために何をすべきか?というアクションプランを具体的に考えさせられる機会となった。この経験を通じて夢職人は劇的な組織形態の変更を行い、関わるスタッフの数も急激に増えていった。収益も約2倍となり、活動展開のスピード感もよりいっそう進化したのである。

旗上げ

 話を団体立ち上げ当時に戻そう。もともと夢職人は任意団体からのスタートだった。それはまさしく何もないところからの始まり。子どもたちの保護者や地域からの信頼もないなかで岩切らはある行動を実行した。それは一緒に活動する仲間を募るために、アルバイト代をだしあって、あらゆる友人に手紙を書きまくったのだ。そうやって仲間が一人二人と集まってきた。最初の2年間はアルバイト代をつぎ込んで活動を続ける毎日であり、生活との両立の厳しさを感じていたのだった。だからこそ、生活と活動を両立させ、さらに活動を発展させていけるような仕組みをいかに作り上げるか?という問題意識が生まれていった。ただ、教育分野は顧客に負担を強いるだけのビジネスモデルは通用しない。なぜなら、本当に教育を受けてもらいたい人達が、みんなお金もちとは限らないからだ。現在、夢職人では、会費・寄付・助成・事業などの合算で事業をまわしている。会費や寄付・助成など多くの方からの協力を得ながら事業をまわしているからこそ、絶対的なこだわりを持っているのがプログラムの質である。

「子どもに変化がおきない教育プログラムでは意味がないんです。」と岩切はいう。

夢職人ではすべてのプログラムにおいて、効果測定のための項目を設定。数値化した後に、多面的にプログラムの評価を行っている。

「子どもに対して変化を起こしていく。社会に対して変化を起こしていく。これができなければ、自分たちが楽しむだけのサークルになってしまう。それでは、絶対にだめなんです。子どもたちがよりよく成長していくためにどうしたらいいのか?そういう成果を考えぬいて、プログラムを実施していくことが大切だと思います」

活動の効果や成果を重要視する点からはボランティアに対する岩切自身の考え方もにじみでている。

「ボランティアというのは、かけがえのない時間を金銭的な対価なしにあてています。だからこそ、自分が一生懸命やったことを目にみえる状態にすることがとても重要なんです。つまり、ボランティアだからこそ、成果がみえなければならないと思っています。」

夢職人には、社会人のボランティアが多数かかわっている。しかしながら、一般的に言われるようなボランティアの意識でやっているスタッフはいないのだという。国籍や年齢の違い、高校生から50歳代まで、実に多様なバックグラウンドを持った無給スタッフが、子どもたちを変えていくためのパートナーとして本気で活動にかかわっている。
このような活動が評価され、様々な組織から協働の話が舞い込むことも少なくない。たとえば、子どもたちが地域のお祭りで駄菓子屋を2日間経営してみる。事業計画書を書いてみて、民間の企業に勤める社会人に相談しながら、大人と一緒になってプロジェクトを組んで学びを得る。様々な人と協働しながら、課題解決をすることで収益をあげる。これはどんな仕事でも共通することであり、体験することを通じて、子どもたちの成長につながるのである。

将来への道

 明確化されたミッション、ビジョンによって大きな成長を遂げてきたNPO法人 夢職人。今後はどうなっていくのだろうか。夢職人の活動を、まずは江東区内全域に広げていくことがビジョンの一つだと岩切は語る。また、同時にほかの地域への水平展開も視野にいれている。そこには、質の高い社会教育プログラムをつくり続け、多くの子どもたちの成長に寄与したいという強い意志が感じられる。そのためにも、通常は競合と位置づけされる団体に対しても、同じ問題意識をもっているならば手をとりあいたいと考えている。なぜなら、問題が早く解決されることこそが、目指す最大のゴールだからだ。

「いま、私たちが教育をしている子どもたちが、いつしか次は教育をする側になっていきます。良き教育が循環していくことでそのコミュニティの良き社会や文化が創り出されていきます。子たちが大人になったときに、社会の中で活躍をしていくことのできる力を育めるコミュニティは、必ず豊かになっていきます。私たちは、地域社会にそういう教育の循環を起こしていきたいと思います。」

エピローグ

 取材中に何度も感じたことがある。それは「行動をおこすこと」の大切さだ。いつからか世の中には情報があふれ、必要なものはそのほとんどをインターネットで簡単に手にいれられるようになった。同時に、「常識」という一種の固定概念が人の心を覆いつくすスピードも早くなり、全員が同じ方向をむかないと間違っているような気風が強くなっている気がしてならない。

岩切は取材中何度かこの言葉を口にした。

「まず、やることが大事なんです。」

知識やスキルは方法論にすぎず、目の前で問題を目の当たりにしてみる。そうやって行動をしてから必要なことを学んでいくことが大事なのだと彼は語る。大人の学び方とは、まずアウトプットをすること。インプットには際限がない。アウトプットをしてから、インプットをする方が足らない部分が見えてくるし、成長感がある。それはすなわち、「必要なことは何か」ということを知るためには、まずは行動を起こしてみることが必要不可欠なことだということである。

最後に岩切はゆっくりと語りかける。

「世の中でおかしいな、変だなって思うことは誰でもあると思います。でも、同時に、変わらないだろうっていう思いが心のどこかにあるのではないでしょうか。」

この社会を構成しているのは自分自身だという事実。この当たり前の事実を大切にできるかどうか。彼は信じている。「社会は自分自身で変えることができるものだ。」と。誰でもアクションをとることができるのだ。もちろん、「それは無理だ。」という人達も少なくない。そういった人々は、変えられない理由なら10も20も考えてくる。でも、解決策の1つも考えてくることはしない。変えたいものがある。だから、変えるための方法を考える。社会を変えられると本気で信じる人こそが本当に社会を変えることができる。そして、まずは行動をおこすことが何よりも重要なのだ。岩切の瞳は静かに語りかけていた。

地域社会における教育の循環。江東区で始まった一人の若者の想いと挑戦は、江東区で育ちゆく次世代の子どもたちの心に、いま確かにひろがりはじめている。

「今度はキミが、子どもたちのためにいつか同じことをしてあげなさい。」

いつの日か岩切を優しく包んだこのコトバは、彼の夢とともに確実に次の世代に紡がれている。

岩切準さんから、あなたへのメッセージ特定非営利活動法人 夢職人
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[ 取材:桑原 撮影:前田 ]