変えるヒト、変わるヒト。-新しい社会貢献のカタチ-

1976年東京生まれ。編集、採用広告の企画制作を経て、2008年よりクリエイティブの力で持続可能な社会の実現を目指すソーシャル・クリエイティブ・カンパニーである株式会社スペースポートに入社。アソシエイト・プロデューサーとして、企業やNPOの各種コミュニケーションの企画・プロデュースに従事する他、一般社団法人Think the Earthにおいて、NPO、NGOや企業、クリエイターとのコラボレーションを通じたプロジェクト開発、広報・教育(CEPA)事業、調査・コンサルテーション事業を行う等、地球について感じ、考えるきっかけ作りを様々なアプローチから行っている。

2011年の暮れに1冊の本が書店に並んだ。
タイトルは『ねこよみnecoyomi』。

もともと猫が好きで猫と暮らしている1人の女性の「猫の視点で自然や地球を見ることで、日々の見方がちょっとだけ変わるかも知れない」という想い。そんな想いがカタチになった瞬間だった。

今回ご紹介するのは今をときめく起業家でも、高額の年商を稼ぎだすばりばりのビジネスパーソンでもない。自分の大好きなことを通じて社会にある難しい問題や困難なことをちょっとでも良くしていこうとする等身大の女性、鳥谷美幸の物語。

もし、あなたが毎日になんらか息苦しさを感じているのなら、飾ることのないあるがままの言葉と生き方に触れることで、少しだけ肩の力を抜いてもらえればと思う。

『ねこよみnecoyomi』はボス猫のオレンジ君と仲間達の春夏秋冬を描いた作品だ。その作品からは、自然にゆるやかに身をゆだね、たくましく生きる猫たちと、その周りにあふれる四季の草花、動物、虫たちから、私たちの暮らしを豊かにしてくれる季節の流れや自然の営みを感じとることができる。

「これまで企画制作や編集など、それなりにものづくりのシゴトをしてきたつもりでした。でも本当に“新しいものをつくる”ということは、これまでとは全然違うことだという厳しい事実に直面したのが、『ねこよみ』でした。」
人生で一番苦しかった経験を聞かれたときの鳥谷の答えだ。

鳥谷の仕事は、社会課題を分かりやすく人の心に伝えるソーシャル・クリエイティブという仕事。子どもから大人が、地球について感じ、考え、行動するきっかけをつくる仕事をしてきた。そんな鳥谷の仕事に対する考え方に大きな影響を与えたのが東日本大震災だった。

「地球のことを考えようと思うとき、必ずしも水や生き物、環境などに焦点を当てて考えなくても、もっと自分にとって大切なことを通じて、地球について考えることや社会の問題を変えるきっかけづくりを行うことが可能なんじゃないかって考えはじめました。私にとって、その大切なものの一つは猫だったんです。」

2001年からソーシャル・プロジェクトのプロデュースを行うThink the Earthでは2006年から『えこよみ』という絵本を制作してきた。「n」をつけたら『ねこよみ』になる、と気付いたことから始まったのが、“猫と季節に感謝する”この企画だった。

“ねこ”と“こよみ”で『ねこよみ』。春夏秋冬の季節の移り変わりを下町に住む猫たちの目線で描かれた物語を通し、感じることができる。

社内の反応は良かった。が、想いについての共感は得られても、実際に想いを仕事としてカタチに変えていくには多くのハードルが立ちはだかるものだ。

新しいことを始めるとき、必ずうまくいくという証明は難しいし、限られた予算の中で効果的にやり得るかということも考える必要がある。

3ヶ月ほど企画が進まず、鳥谷は何度も企画を考え直してはプランを練った。

「こんなに面倒なことをするならば、誰かが受注してきた制作の仕事を黙ってやるほうが良いのではないかと思ったこともありました(笑)。」

覚悟していたとはいえ、新しいものをつくりだす厳しさを知り、日々の業務の忙しさの中で、時には心が折れそうになったこともあった。それでも自分の好きなことをカタチにする人生で大きなチャンス。何とか乗り越えてきた鳥谷は、いま、改めてこう口にした。

「企画が動き出し、絵本作家の砂山恵美子さん、編集の田村民子さん、ブックデザインの笠井亞子さんが、次々と合流してくれました。全員が、猫を愛する女性です。ものすごい勢いで、どんどん本が出来上がること! 自分が好きなことをカタチにすることが、こんなにも楽しいことなんだと35歳になってはじめて知りました(笑)。」

震災後、鳥谷は猫シェルターでボランティア活動を始めた。絵本の売上の一部は、猫の福祉・愛護活動を行う団体に寄付をすることになっている。

「普段の暮らしの中で猫から豊かなものをもらっている自分たちだからこそ、恩返しができればと思います。」

世の中に山積する多様な社会課題には分かりづらいものも多い。

生物多様性、食、水の問題。そうした問題を考えるキッカケづくりを、あなたならどんなふうにやるだろうか。

難しいと思われがちな社会の課題を分かりやすく噛み砕き、人々の心に届けることに挑戦し続ける鳥谷だが、もともとはこうした仕事に興味があったという訳ではなかったというから驚きだ。

一体これまでにどんな経験や想いを積み重ねてきたのだろうか。

「小学校の頃は女医さんかデザイナーになりたいと思っていました。アナウンサーに、ニューヨークの為替市場でディーラー。ミーハーで、本当にコロコロと変わっていましたね。(笑)ただそこには、自分の言葉で話す人になりたい、という思いがいつもあったような気がします。」

そんな鳥谷の社会人としての出発点は、英語学校の先生だった。そこでたまたま広報誌の立ち上げを経験。メッセージを紙に落とし込んで誰かに伝えるということに興味を持ち、編集の仕事に転職することになる。だが、そこで待っていたのは大きな試練だった。

「20代の半ば頃、9社競合の大きなプレゼンテーションの機会に直面したんです。」

数十人のクライアントの前で緊張しながらプレゼンを終えた鳥谷を待っていたのは、拍手喝采ではなかった。むしろ、伝えたい想いがまったく伝わらないという大きな壁。

「自分では分かっていることを言葉にして伝えるだけなのに、相手には伝わらなかったんです。伝えたいことをただ話すことと、理解してもらえるように伝えるということは似ていて全く違うことなんだと身にしみました。自分の言葉で伝わるようにものを話せる人になりたいと強く思うようになったキッカケでしたね。」

その後、鳥谷はコピーライター講座で「伝わるように伝える力」を磨いていった。そして、経験を積むなかで自分の経験やスキルを活かして、もう少し大きな仕事に携わってみたいとの想いが強くなっていったことから、採用広告の代理店に転職を果たすのだが、そこでも試練は待ち受ける。

「あの頃は、とにかく多くの案件を担当し、数をこなすのに精一杯でした。夢のなかでビルの屋上を歩きながら、あぁ、ここから飛び降りたら楽になれると思ったこともありました(笑)。焦って目覚めた時に、たまたまテレビから流れてきたのがイチローの言葉でした。」

−ださいことをコツコツと積み重ねていくしかない。

イチローの言葉に背中を押され、毎日を積み重ねることになる。そうやって3年半もの間、採用広告の代理店で働いてきた鳥谷は、結果的には数百人の社会人から仕事に対する話を聞くことができていた。

「職種や役職、年齢に関わらず、働いている個人に共感できることはたくさんあると感じました。そうやって、もっともっと働く一人一人の想いを大切にしたいと思うようになったんです。」

社会の課題をクリエイティブの力で解決する仕事がしたいという若者は世に多い。だから、どうやってスペースポートという会社を見つけ、なぜ入社できたのかを知りたい方もいるかも知れない。

その答えはいかにも鳥谷らしいものだった。

「よくある転職サイトの1つに掲載されていたので、応募しました(笑)。特別なルートや知り合いのコネクションがあった訳ではないですよ。私にとって想いをカタチに変え、人の心に伝えることを生業にしている会社なんだというところが魅力的でした。」

英語学校の仕事からはじまり、様々な体験で一歩ずつ変化してきた鳥谷がたどり着いた「想いをカタチにしたい」という願いが、少しずつ仕事になっていった。

そんな鳥谷の社会人人生に大きな影響を与え、一つの転機になった仕事がある。「寄付のエッセイコンテスト」だ。

当時、日本には寄付のコンテストは存在しなかった。
鳥谷自身も寄付をした経験がなく、手探りの経験だったが、そこで出会ったパートナー先のプロジェクトリーダーの存在に衝撃を受けたという。

「彼女がめちゃくちゃ公私混同だったんですよ。いい意味で生活と仕事が重なりあってる。それで、ものすごく力強くていい仕事をするんですよ。変に役割に当て込めて息苦しく生きなくてもいいんだ。仕事とプライベートを分けなくてもいいんだって思うようになりましたね。」

その後、鳥谷は水を通じて世界のことを学ぶ「みずのがっこう」というプログラムに携わる。

「土日で商業施設をキャランバンしながら、こども向けワークショップを実施しました。印象的だったのは、数十名のボランティアの人たちと企画を実施するなかで、お金を通さず想いを持った人々と一緒に1つのプロジェクトを進めていく経験をしたことでした。」

スペースポートで過ごす日々は変化に満ちている。

「これまでイベントの企画運営なんてやったことも無かったんです。ワークショップをやる自分なんて一切イメージせずに入社してきた自分が、イベントをやっている。本当に驚きでした。」

仕事の範囲は実に広いし、はじめてやることばかり。
そのたくさんの変化が鳥谷の人生をまた様々な方向への導いているように感じる。

「自分の大切にしたいものを通じて、社会にとって難しいものや困難なものをより良い方向に変えていければといいと思います。周りの人々に感謝しながら。」

今回の取材を通じて、鳥谷美幸という1人の人生の軌跡を紹介してきた。
彼女は起業家ではないし、有名人でもない。

悩み、壁にぶつかり、乗り越え、また悩む。
誰にもある毎日を繰り返している1人かも知れない。

でも、そんな鳥谷だからこそ伝えられるメッセージがあると思う。
それは、「もっと肩の力を抜いて、在りのままでいいじゃん。」ということ。

鳥谷は転職活動をするなかで、よく戸惑った質問があったと話してくれた。

「あなたの軸を教えて下さい」という面接官の問いだ。

鳥谷はいう。

「自分の軸をしっかりと持たなければいけないのか、私に堂々と言える軸なんかないんじゃないか、とコンプレックスに感じていました。はじめに軸を決めて未来を考えることも大事かもしれない。でも今は、その時、その場で大事にすべきことを大事にしていくことも、同じくらい大切なんじゃないかって私は思うんです。」

キャリアを階段のように考える人は少なくない。
目標から逆算して、日々やることを綿密に計画して、その計画から外れないように行動をしていく。

それが間違いだとは思わない。
けれど、常に目標に向かって一貫した行動をとることそのものに、縛られてしまうことで、いま、目の前にある大切なことを見失ってはいないだろうか。

鳥谷の人生は「いま、ここ」を生き、経験したことで人生がどんどん変化してきた。点をつなげて1つの直線を描くというよりは、それぞれの点が様々な場所に点在しているが、ひいて見ると1枚の絵画ができあがる。そんな人生のようにも感じる。

「働くことって、大変な時は本当に大変じゃないですか。逃げ出したいくらいですよね。なのに、どんな時にもぶれない軸を持って、それに忠実に綺麗に生きるってすごく大変な気がするんです。苦しいときは苦しいし、嫌なときは嫌。でも頑張るときは当たり前のように頑張る。美しい軸がなければ失格、なんてことはないですよね。もっと実態をさらけだしていいし、泥臭く生きていいんじゃないかって最近よく思います。」

鳥谷自身にもこの先、どんな絵が出来上がるのかが分からない。
でも、そのこと自体を一番楽しみにしているのが本人かも知れない。

「どんな人生を送りたいかと聞かれても私には良くわからないんです。でも、鳥谷美幸は鳥谷美幸を生きましたって言えればといいんじゃないかなと思っています。」



・ねこよみ

[ 取材:桑原・野中・前田 ]