変えるヒト、変わるヒト。-新しい社会貢献のカタチ-

特定非営利活動法人アクション(NPO法人ACTION) 代表 横田宗(よこた はじめ)さん
1976年、東京都出身。高校3年の時にピナトゥボ火山の噴火で被災した孤児院の存在を知り、単身で訪問する。フィリピンの人々に恩返しがしたいと思い、94年に特定非営利活動法人アクション(以下:アクション)を設立。大学在学時も孤児院支援を続け、インドやルーマニアの孤児院で活動。途中休学し、内戦後のルワンダやケニヤ、ウガンダ、ザイール等で戦災孤児支援等の活動を実施。1999年、大学4年生の秋にフィリピン事務局と日本事務局を開設。現在は代表として全事業の統括。国内では小・中・高校の教員とともに国際理解の授業作りを進める他、学校・行政等で講師を務める。実施している授業は中学校社会科の資料集に掲載されている。また、極真会館フィリピン支部マグサイサイ道場責任者として、武道を通じての青少年育成を行う。2001年には皇太子殿下の前で活動発表を行った。

00 プロローグ

プランタン銀座の1階雑貨コーナーにとりわけカラフルなペンケースやポーチが販売されている。よく見ると表面はお菓子の袋が小さく埋め込まれ、可愛らしいデザインに仕上がっている。この商品はフィリピンで捨てられていたお菓子の袋を回収し、現地の人々が心を込めて織り込んだ、世界に一つのおしゃれなエコアイテムだ。このオシャレな製品は日本の消費者の心を捉え、フィリピンと日本をつなぐ架け橋として広がりを見せている。横田は自ら出資し、民間企業と連携の下で立ち上げた事業として、フィリピンの人々の生活向上支援につながるこうした製品の企画・販売を行うことに加え、自身が代表を務めるアクションにおいて、児童養護施設の運営や、ストリートチルドレン支援、貧困地域の生活向上支援等の活動を通じて、子どもたちが自分自身の力で夢にむかってチャレンジできる環境づくりを行っている。16年間積み上げてきた活動の軌跡、その背景にある横田の想いが、いま明らかになる。

01 勉強嫌いの問題児

先生の横にイスを置かれた1人の小学生を想像して欲しい。
落ち着きがなく、勉強嫌いの問題児。それが小学生の横田だった。子どもの頃から好奇心が人一倍強く、興味の対象が普通の小学生とはまるで違っていたと横田は語る。学校は横田にとって狭い世界だった。その後は「早く就職をしよう」との思いから商業高校に入学するも、勉強には馴染めなかった。そんな「問題児」の人生は、障がい者施設でのボランティア体験により大きく変わることになる。

当時の横田は、駅で車椅子の人を見るたびに、「大変な思いをして何のために電車に乗るのか」と疑問に思っていたという。バリアフリーという言葉もなかったこの時代に、電車を利用する車椅子の人の想いや生活に興味を持ったことが、4泊5日のボランティア体験に参加する動機だった。

横田は当時の様子を思い出す。
「15歳の僕は、この施設で始めて“大人のすごさ”を感じました。目の前にいる人は、拳銃で撃たれて脊椎損傷をした元ヤクザや、自殺未遂をして下半身不随になった女性。普段の自分では考えられない世界の話でした。」

横田が感じた大人のすごさとは何だったのだろうか。

自殺未遂をした女性はこうつぶやいた。
「私は人生を捨てようと電車に飛び込んだ。命は助かったけれど、下半身は動かない。でもね、今は生きることができて本当に良かったと思うの。だから、あなたのそばに人生を投げ出そうとする人がいたら、私のもとへ連れていらっしゃい。」

社会は、多くの人々の「偏見」が「常識」を作っているのかも知れない。「常識」の枠内では、横田は「問題児」であった。だが、福祉施設で感じた別世界のような体験が15歳の彼を大きく変えるきっかけとなる。

02 原点

横田にとって、アクション立ち上げの原点はフィリピンでの出会いだった。フィリピンのピナツボ火山の噴火で倒壊した孤児院の存在を新聞で知り、持ち前の好奇心と行動力で、住所のみを頼りに単身で訪問し、壊れた壁の修復作業を現地の人々に混じって手伝った。一人の力では出来ないことも、多くの人が手を取り合えば可能になることを知った。約1ヶ月に及ぶ横田の滞在を支えてくれたのは、地元住民だった。フィリピンにおける活動を展開するアクションの原点は、フィリピンの人々への感謝の気持ちだ。

帰国後、亜細亜大学に入学した横田は、高校時代に経験したこの体験を、一人でも多くの大学生に伝えようと活動を開始した。当時はインターネットが無かったため、常に自らの言葉でフィリピンの状況や体験を伝える必要があった。そんな横田の話に興味を持った大学生や社会人が次第に集まり、孤児院の壁の修復を行うワークキャンプを実施することになる。こうしてフィリピンの孤児院運営を活動の柱に据えたアクションが在学中に立ち上がった。

横田はアクションを継続している原動力についてこう語る。
「ボランティアがやりたかったわけじゃない。フィリピンでお世話になった地域の人々への何か恩返しができないか。その気持ちこそが活動を続ける原点。」

団体設立から16年が経ち、多くの講演活動に力を入れる横田が学生に伝えるメッセージは、この「恩返しの大切さ」だ。

横田が特に学生に伝えたいことがある。
「人間は一人で生きることはできない。多くの人や地域に助けられ、育まれているからこそ今の自分がある。その事実に気付くことこそが大切だ。いつも自分は誰かに支えられている。だからこそ、自分のできることで誰かを支える手伝いをしよう。そんな“恩返し”の気持ちを、日々の生活で意識することを大事にして欲しい。」

援助やボランティアを“してあげる”という発想ではなく、人と人のつながりに感謝し、自分ができる恩返しをする。一方通行の活動ではなく、相互作用のある働きかけが大事であり、それこそが「国際支援」ではなく、「国際協力」という言葉の本来の意味だと横田は考えている。

03 こども達と地域の可能性を広げる

アクションとは、“A Child’s Trust Is Ours to Nurture”の略であり、日本語では「私たちの愛情をこどもは信頼してくれる」という意味だ。フィリピンでは、10人のこどものうち、4人が高校を卒業できないという現状がある。
だからこそ、こどもたちが夢に向かって思い切りチャレンジできる環境を作ることを目指し、フィリピンのサンバレス州にある孤児の子どもたちの支援施設「ジャイラホーム」と提携し、自立した孤児院の運営を目指す活動や、ストリートチルドレンへの奨学金プロジェクトなどを行っている。

日本国内においても、フィリピンの各事業地へボランティアの派遣やスタディツアーの実施、フィリピン雑貨チャリティショップの運営を行う。キーワードは、“Think Locally, Act Globally”だ。フィリピンだけではなく、日本社会からも必要とされるようなNGOを目指し、フィリピンと日本両地域での活動を通して得た経験を両地域の発展に活かすことや、日本の歴史や文化など、地域が培って来たものを活かした活動を実施している。

04 社会へのインパクト

アクションの活動がもたらすインパクトは、フィリピンの子どもたちの生活の変化だけではない。
日本の大学生を中心とした若者がフィリピンの孤児院などを訪れるワークキャンプやスタディツアーは、参加者の人生に大きな影響を与えている。

現代の日本社会は、IT(情報技術)化の進展による対人関係の希薄化など、人と人が関わらなくても良い社会になってしまっている。人と人、人と地域、人と社会、そうした人間関係をつなぐ絆が希薄化し、自分の存在意義を見失い悩む若者も少なくない。人は一人では自分のことは理解できない。だからこそ、ワークキャンプで出会う仲間の存在や、協働する経験こそが、自分を映し出す鏡になっていると横田は感じている。

参加者の多くは友達同士ではなく、一人で参加する。最初は緊張で戸惑いながらも、事前研修やキャンプを通じて、生涯付き合える仲間に出会った参加者も多いという。ツアーやキャンプ中は、日本各地から集まった大勢の参加者と一緒に、孤児院の敷地内にあるゲストハウスに宿泊し、孤児院の子どもたちと遊ぶことや、老朽化した生活棟の修復作業、毎日食べる野菜の収穫などを通じて、多くの時間を共にする。同じ場所に長時間宿泊するため、同世代の仲間と夢について語りあったり、恋の話をしたりと、参加者同士での会話が多く生まれ、何年たっても何でも話せる仲間ができることも多いのだ。

今後の展開として、趣味に応じた多様なワークキャンプを作ることにより、企業人など一人でも多くの人生を変える機会作りに挑戦したいと考えている。

05 お菓子の袋をリサイクルしたエコミスモ

2010年5月、フィリピンの道路や学校で捨てられたお菓子の袋をリサイクルしたオリジナル商品の販売事業が新たにスタートした。ブランド名のエコミスモは、英語のecology(エコロジー)のecoと、スペイン語のmismo(それそのもの、まさしく)を組み合わせた造語だ。民間企業であるマーキュリーシスコム社と提携し、立ち上げられたオリジナルブランドであり、貧困層の雇用創出と町の美化、環境保護を目的としている。利益の一部は、フィリピンの孤児院やストリートチルドレン支援に活用される。
この事業は、横田自身の出資から立ち上がった。事業開始から2ヶ月が過ぎたが、売上は厳しい状態だ。
それでも横田が金銭的リスクを負うことには理由がある。


「大きなNGOは自然と寄付金が集まり活動が展開できるが、事業の成否において責任を問われることはほとんどない。それでは事業を成功させるという想いに欠けることもあるかも知れない。民間企業と協働し、活動のスピードをあげるならば、NGO側にも覚悟が必要ではないか。」

エコミスモ事業は、フィリピンの母親たちに仕事を創ることにより、ストリートチルドレンになる子どもをひとりでも少なくすることを目指している。現地の母親たちは、エコミスモの事務所で1週間のトレーニングを受けた後、内職で製作を行っている。支払われる金額は歩合制だが、地元男性の2/3の収入を稼ぐことも可能だ。現在は約50名のスタッフが在籍し、お菓子の袋を道や学校から回収することや、素材作り、編み込み、ファスナ付けなどを行っている。地域に雇用を生み出すだけでなく、町の美化にもつながっている。

06 エピローグ

アクションを設立してから16年が過ぎた今、横田は人生を振りかえる。

「16年間を振り返ると、嬉しいことや辛いこと、本当に様々なことがあった。でも、好きなことを仕事にできる自分は恵まれている。辛いことや大変なことは好きなことの内側で起きていること。だから苦にはならないし、辛いという言葉を言ってはいけないと思う。嫌なことから逃げずにやることは非常に重要なことで、やることで初めてわかる楽しさもある。」

両親が教えてくれた福祉作業所でのボランティア体験が、横田の世界を広げるきっかけとなった。
フィリピンの人々との触れあいが人生を大きく動かした。

お世話になった人、地域、社会へ。
「恩返し」を紡ぐリレー、それこそが社会を変える一歩になる。


いま、横田が実施する様々な取り組みは、フィリピンに生きる人々の人生を確実に変えている。
フィリピンだけではない。ワークキャンプに参加した日本の若者が、自分の生き様を問い直し、誰かへの感謝の気持ちを胸に、新たな生き方を見つけることも少なくない。その若者たちもまた、恩返しの気持ちを紡ぎながら、社会により良い影響を与えていく。

横田は、自身の職業を社会活動家と呼ぶ。
社会を変えていく主体の一つであり、アクションの取り組みは世の中をより良く変えるための手段だ。

講演をする中で学生と触れ合う横田は、世間の常識や枠にとらわれて、頭で物事を整理し、判断をする若者が多くなっているように感じている。
道無き道を創るには、理論だけではどうにもならないことが少なくない。
だからこそ、常に新しい発見や苦難の中で、頭で考えるだけでなく、感覚や感情を大事に生きる。

横田は、最後に力強く語った。
「いま、世の中に無い職業を1つ創ること。それが、一生をかけて成し遂げたいゴール。」

職業とは、何か。
それは、人の生き様そのものではないだろうか。

横田 宗さんから、あなたへのメッセージ
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[ 取材:桑原・五味 撮影:前田 ]