中国・上海出身。See-D Contest実行委員長、コペルニク・スペシャリスト、ビジネス開発スペシャリスト。6歳まで中国で過ごした後、小学校から高校までの12年間を日本で過ごす。マサチューセッツ工科大学化学部卒業後、外資系経営コンサルティングファーム、マッキンゼー・アンド・カンパニー(McKinsey & Company.)東京支店に入社し、多国籍企業向けのマーケティング、経営戦略コンサルティング等に従事。UNDPインドネシアで2008年夏にPPPコンサルタントとしての勤務以来、国際開発に携わっている。現在、ハーバードケネディ行政大学院の国際開発専攻修士コース(MPA/ID Program)に在籍中。
2010年10月23日。六本木の政策研究大学院大学の講堂では、150人を越える観客が電気・水道の届かない地域に使ってもらえる発明の数々に見入っていた。日本から途上国の低所得者層の生活水準向上を実現する商品、事業をより多く生み出すことを目的とし、途上国のユーザーと日本の企業や大学のエンジニア、デザイナーが一体となって、ユーザー中心の製品開発・事業構築を行うコンテスト「See-D Contest」の第1部最終成果発表会での一幕だ。3ヶ月にわたる第1部イノベーションワークショップでは、約50名の参加者が、5回のワークショップ、一週間の東ティモールへのフィールド調査を通じて、電気のない村で使ってもらえる製品のプロトタイプをデザインした。工夫を凝らしたアイデアの数々を目の当たりにし、コンテストの実行委員長である陸は、嬉しそうに語った。
「本当に誰かに役立つモノづくりをしたい。そんな想いを持った大企業からの参加者も多く、驚きました。コンテストはあくまでキッカケであり、ビジネスとして成功する製品が一つでも出てくれば嬉しいです。」
「理系のチカラを社会のために。」そんな陸の想いは、今まさにカタチになりつつある。
陸は中国・上海に生まれた。当時の様子をこう振り返る。
「その頃の上海は発展途上で、我が家にはお風呂も洗濯機もなく、テレビは白黒、キッチンのガスもマッチでつけていました。」
そんな陸の人生を変えた体験は、7歳で初めて訪れた日本での光景だ。
勝手に開いたり、閉まったりする自動ドアや、ボタンを押すと自動的にジュースが出てくる自動販売機、階段が動くエスカレーター。上海から1泊2日をかけ、神戸港から入国した日本での体験が、陸の原点になっている。
それから12年間、日本で小学校から高校までを過ごした陸は、次第にサイエンスの世界にはまっていく。研究への飽くなき興味は、陸に留学を決意させ、アメリカのマサチューセッツ工科大学(以下:MIT)への入学にもつながっていった。
そんな陸だったが、大学で大きな転機が訪れることとなる。MITでは分子生物学を専攻し、植物の力を農業や社会に活用する研究者になろうと研究に没頭していたが、4年生になると「興味の対象が次々と変わる自分に、何十年も1つのテーマを追う研究者が本当に向いているのだろうか」と考えるようになったのだ。
「このまま一生研究を続けたいのかと自問自答をしていました。そこで研究の世界を少し離れて、広く世の中を見渡せるような仕事に数年間ついてみようと思ったんです。」
こうして大学卒業後に、外資系経営コンサルティングファームのマッキンゼー・アンド・カンパニー(以下:マッキンゼー)に就職することとなる。
マッキンゼーで体験したコンサルティングの仕事は、陸の期待していたものよりもはるかに面白く、意義深いものだった。
陸は言う。
「日々の仕事を通じ、人と関わる仕事の面白さや自分が持つ理系の人々への強い興味や関心を再発見することができました。こうしたことは、私に理系の人たちの才能が、ベストな形で世の中に活かされるよう、テクノロジーと社会をつなぐ仕事を自分の生業にするという一つの決意をもたらしました。」
一方で、ビジネスの現場では多くの厳しさにも直面することとなる。
ビジネスコンサルタントとして新商品のマーケティングやブランディング業務に奔走する中で、あるメーカーの製品開発に係ることになった陸は、消費者調査、ターゲットの絞り込み、プロダクトデザインに取り組み、製品化にこぎ着けた。しかしながら、この製品は売れなかった。
結果的に、「あんなにやったのに…」という悔しさと、すでにモノが飽和状態にある先進国市場に新製品を作り出して売り続けることへのむなしさを感じることとなる。
ちょうどこの時期、学生時代から関わってきたSTeLA という科学技術人材のリーダーシップ育成ネットワークの会合で、「地球温暖化などのグローバル課題に理系人材がどう関わるべきか」といったテーマが頻繁に議題に上るようになっており、社会人になり3 年が経過しても、こうした問題に何一つ貢献できないままの自分に言いようのない焦りを感じ始めていた。
入社3年目の夏、そんな陸に転機が訪れた。
「植物の力を利用して水をろ過する浄水器を貧しい村落地域に導入しようとしている企業のビジネスモデル作りを手伝わないか」との誘いが舞い込んだのだ。
国連開発計画(UNDP)とヤマハ発動機が、ビジネスを通じて途上国の社会課題を解決するためにパートナーシップを組んだ案件だった。
「当時の私は、世界が直面している科学技術の課題と、コンサルティングの仕事で手伝うメーカーの課題との間に、あまりにもギャップがあるのではないかと考えていました。」
こんな悩みがあったからこそ、「きれいな飲み水の届かない地域に、浄水機を導入しようとしている会社があるのだけど、そこのビジネスモデル作りを手伝ってみない?」との会社の同僚からの誘いは魅力的だった。
「この機会を逃したら、一生、貧困問題に関わることもないだろうと思った私は、会社を休職し、国連開発計画のGrowing Sustainable Businessというユニットに属し、浄水機メーカーの村落地域向け浄水機ビジネス戦略を考えるプロジェクトに従事したのです。」
プロジェクトで訪れたインドネシアの村での光景は、陸の心に衝撃を与えた。村々の家庭では、シンプルな日本製の製品が、本当に大切にされていたのだ。狭い家の中に、大事そうに飾られていたテレビや満面の笑みで乗り回して見せてくれたオートバイ。陸は、始めて日本に来たときに神戸港で感じた衝撃を思い出していた。
陸は当時の様子をこう語る。
「日本人の目から見れば陳腐なテクノロジーを宝物のように大切に扱ってくれるところが世界にはまだあるということは衝撃でした。同時に、世界にはテクノロジーを享受できていない人たちが大勢いる。それなら、すでにテレビを5台持っているかもしれない家庭に6台目の新型モデルを売りつけるのではなく、これまでテレビを買ったことがない人にテレビを届けられるような仕事がしたいと思うようになりました。」
テクノロジーが人々の生活にもたらすインパクトは、先進国と比べ途上国では大きい。
こうした体験を経て、陸は決意した。
「同じテクノロジーを届けるなら、すでに満たされた生活を送っている人にではなく、初めてテクノロジーに触れる人に届けよう。」
それから1年後の2009年、インドネシアの仕事を終えた陸は、途上国の開発について学び直すためハーバードケネディ行政大学院・国際開発専攻修士コースに留学した。数年ぶりに戻ったアメリカでは、かつてSTeLAを一緒に立ち上げた仲間が、途上国の暮らしや環境に即した「適正技術」を活用し安価で丈夫な製品を作り出す大学の工学教育「D-Lab」に取り組んでいた。陸はこのプログラムに賛同し、日本でも「D-Lab」を広げる活動に参加した。
しかしながら、「D-Lab」を日本の大学で展開することは簡単ではなかった。
「D-Lab」が生まれたMITにはビジネススクールが併設され、様々な社会経験を持つ人々がベンチャーを志す風土があるため、大学はいわば、「D-Lab」で生まれた製品が社会に出て実用化されるまで面倒をみてくれるインキュベーターとしての役割を担っている。一方で、日本においてはこうしたインキュベーターとしての役割を担える大学は多くはなかったのだ。
陸はこうした状況を変えるためにある考えを思いつく。
「いいアイデアと人材を集め、“コンテストを通じて生まれた製品”を1つでも世に送り出すこと。それこそが前例主義の日本の大学への絶好のメッセージになるはず。」
この想いから誕生したのが、「See-D Contest」の取り組みだ。
「See-D Contest」は、「見ること、探すこと」が重要だと考え、現地を見ることや問題点を探すこと、そしてデザインや普及モデルを学ぶこと等のプロセスを散りばめた3つのプログラムから構成されている。第1部が「See-D innovation workshop」だ。このフェーズは途上国ユーザーのための製品アイデア構築の手法を学びたいエンジニアやデザイナーを募集・選抜し、途上国ユーザー層のニーズ発掘から商品アイデアの設計までをサポートするワークショップを開催するもので、東ティモールの村落地帯へのフィールドワークもあわせて実施している。
第2部は「See-D Innovation Challenge」だ。第1部で考案されたアイデアに加え、日本国内から広く途上国向け製品のアイデアを募集する。最終審査会で選ばれた優秀製品アイデアを発案したチームは、第3部へと進むことになる。
第3部は「See-D incubation」として、選抜された優秀アイデアの実用化と製品の普及をサポートするフェーズになっている。投資家やパートナー企業の紹介から実用化と普及に必要なアドバイス提供、ビジネスプラン作成・実行サポートなどが行われる予定だ。
「本来、テクノロジーは、人をワクワクさせるものだと思うんです。」
テクノロジーが人々の営みをより良く変えていく。それは7歳の陸が日本で感じた衝撃であり、インドネシアで思いだした大切な感覚。
だからこそ、「See-D Contest」にかける陸の情熱は大きい。
「途上国のユーザー目線にたった商品開発やデザインに興味を持った人たちが、世界中に種を蒔き、花を咲かせることができたら。」これこそが「See-D Contest」の名前の由来だ。
その輝く瞳からは、陸自身が感じているだろうワクワクが強く伝わってくる。
多くの人たちの「ワクワク」が集い、混ざり、カタチになるとき、世界はきっと大きく変わっているだろう。