LGBTという言葉も一般的になってきた昨今、多様性という言葉も使い古されてきた。
しかし、私たちが本当に他者との違いを大切にするとはどういうことだろうか。
“ ありのままの自分を表現することができ、
あるがままの他者を受け入れることのできる強く寛容な社会 ”
これはNPO法人バブリングの目指すビジョンだ。ありのままの自分でいることは、周りに合わせて自分を消さず、自分はこういう存在だと伝えること。それは、他者との違いを明らかにしていくことに他ならない。
大切な人へのカミングアウトを応援しながら、このビジョンへ向かうバブリングの活動は、「友達同士を混ぜて遊びたい」という気持ちから始まったと網谷は話す。
どんなに壮大なビジョンも、社会的に大きな広がりある活動も初めの一歩は誰かの心に浮かぶほんの少しの気持ちから始まるもの。
「初めはゲイの友人と、ストレートの友人とを別々に遊んでいたのを、一緒に集めて飲み会やイベントをやりだしたのがきっかけです。単純に好きな友人同士が仲良くなったら嬉しいじゃないですか」
NPO法人バブリングの前身となる活動は、こんな網谷の気持ちから始まった。回数を重ねるごとにイベントの人数は増え、2006年当時、最大で200人規模にもなっていったという。ただ、規模が広がったことで『本当は何がやりたかったのか』が見えなくなってしまい、しばらく定期的に行った後、活動は一旦休止することになった。
「休止期間中に、友人が自死したこともあり、改めて『自分がどんな社会を望んでいるかを考え直そう』と思いました。そこで、自分の想いを確かにする時間を作るために、一人旅に出てみました」
北海道を2泊3日フラフラしながら、自分に向き合う時間をゆっくりとる。そうやって最後の特急列車の中で感じた想いの丈を書き出した言葉が、今の活動のベースになっているという。
網谷自身は、自分がゲイであることをたくさんカミングアウトしてきたし、人からもたくさんカミングアウトされてきた。つまりそれは、セクシャルマイノリティのような一見、外からは分かりづらい、他者との違いを打ち明けて、共に扱っていこうとしてきた経験だ。
「僕は、自分がカミングアウトした人たちと一緒に生きていきたいという大前提があります。性がストレートの人でも色弱とか吃音とか、一見分からない『違い』を持っていて、それを心に留めている人はいますよね。だから、セクシャルマイノリティの課題だけというより、カミングアウトした周りの人と一緒に生きていく上で見えていない「違い」を問題として扱わない、混ざり合う社会にしたいのです」
自分が描きたい社会を自分の中で描くとともに、それを一緒に実現したい仲間も集めだした。5ヶ月くらい期間をかけて一人ずつ声をかけ、2014年10月に最初に初めての会議を12人で行った。NPO法人バブリングとしてのスタートである。
「同じ想いを共有したいと思った人で、セクシュアリティや経験に多様性が生まれるように仲間を集めました。僕は化学反応的に人と人がかけ合わさった時に起きる感情の変化や、物事が生まれることが好きなのです」
どんな団体でも、最初は立ち上げの数人でどうしていこうか迷いつつ進めるもので、その方法に正解はない。バブリングでは最初から12名で活動をスタートさせるが、最初はお互いのことを話すところからスタートしたと言う。
「仕事でワークショップをやることが多かったので、それを活かしてお互いの価値観を聞きあうワークを行うとか、ビジョンをどうするか、カミングアウトをどう定義するかなどの話し合いからしていきました。『何をするか』を話すのは簡単ですが、それ以前に『こんな社会にしたいよね』と自分が描きたい社会と同じ世界観を描けなければ一緒にやれないと思っていたからです」
かつてイベントをやっていたからといってその方法にはこだわらない。網谷は「何をするか」よりも「誰とするか」派だと言う。
「活動が3年目になった今でも、年に数回ある全体会では自己開示の練習や相互理解を行う時間を必ずとっています。そうしてお互いのことを深く知り合うことで、一緒にやっていきたい仲間だという気持ちが芽生えるし、自己開示の練習をすることは、自分たちが望む社会を簡易的に体験することでもあると思うからです」
活動を開始し、1年目の10月11日*に、LGBTや吃音を抱えた方などのインタビュー展示や、社会的養護経験者と希少疾患の当事者を招いたトークセッションを行う、カミングアウトコレクションというイベントを行った。その時は組織の転機だったと網谷は続ける。
「ゲストが自分自身に深く向き合い、それまで言葉に出来ていなかったことを誰かのために言葉にしていったストーリーや、その話を聞いた来場者の反応、場の空気を皆で感じたことで。ありのままの自分を表現するということの影響を体感出来たのではないかと思います。
「イベントが終わった後に『網谷が、どんな社会にしたいのか分かった気がする』とメンバーが言ってくれました。『あれ、分かってなかったんだ』と思いましたけど…(笑)」
ゲストの語る言葉から参加者も、運営していたメンバーも「自分はこんなことを周りに言えていないかもしれない」と自分自身の心への響きと、それに伴う会場の熱気。それを自分たちで創り出し体感したこと。それらは「あるがままを受け入れあう社会って本当にいいな」という希望となり、次年度以降の大きな原動力になっていったと言う。
*ナショナル・カミングアウト・デー
団体を設立し、組織が成長し、活動は3年目を迎えた。活動を始めてから網谷自身にも「まだこんなに向き合えていないことがあったのか」という自分自身に対する発見が起きる。
「高校くらいからゲイであることをカミングアウトしていたこともあり、自分のことを自己と向き合っている方だと認識していました。それでも、家族とトークセッションをするためにメンバーと話ししていて、今まで話をしたことがなかったことを口にした途端、涙が止まらなくなったことがありました。大したことがないと思っていたことでも、言葉にしてみることで『こんなに自分の中に引っかかりがあったのか』と驚く、そういう経験が活動を始めてから何度もあります」
自分の中では終わったつもりでも、実は終わっていないこと。逃げてないつもりで逃げていること。わざわざ自分の内側を省みず、触れず、見過ごして生きていくことも出来るだろう。それでも尚、自分のことに目を向けてみる、感じてみる、そして言葉にしてみるのはなぜだろう。
「言葉にできなかったことを言葉にして受け入れられる経験は、「自分はここに居ていいんだ」という安心感に繋がります。その安心感が高まることで、人は行動できる。僕だけじゃなく、他のメンバーも自分と向き合っていく人が増え、自分を変える行動をとる人が増えてきた。それを見たり、変化した仲間の様子を感じたりすることができるのは幸せですね」
身近な人の行動を目の当たりにすることで、「人はまだこんなにも変われるのだ」という言葉が手触りを持つように、より心で信じられるようになっていく。この団体、十数人でできないことが社会全体で、できるはずがない。バブリングはビジョンを体現する組織へと少しずつ育っていっているのだ。
そもそもNPO法人とは、社会的なミッションを持ち、それを広め、社会に変化をもたらすための存在だ。 つまり、一旦設立したら短期で辞めるというイメージは持ちづらい。活動を続けていくために、網谷自身はリーダーとして、メンバーの長所に目を向けること、そして待つことを大切にしているという。
「実は、以前は会社で、すぐ人に対して怒ったり叱責したりしていて、かつ物事を長く続けることに関心が薄いタイプでした。でも『社会を望む方向に変える』ことに作用するように団体を立ち上げたので、そこには『続ける』という選択が必要になります。そう思った時に、自分のこれまでのマネジメントの方法は違うのではないかという予感がありました」
「嫌なことを多少我慢してでもやってもらう」ということは金銭対価が発生しているからできることで、それがない環境では機能しないのではないか。そう感じた網谷は、「自分を前面に出しすぎるのではなく、メンバーの反応を待つ」「好きなことをやってもらうために相手を知る」「短所は目を瞑り、長所を見て、それを組み合わせる」そして、「モチベーションの上がり下がりを受容する」というように自分の「やり方」も少しずつ変えていった。
「テーマがカミングアウトなだけに、自分にも仲間たちにも向き合い続ける団体でありたい。自己開示とお互いの受容を積み重ねてきたことで、今の仲間は活動を通じて変化してきています。
この場が好きになっていっているし、その愛着と安心感は、そこにいる人たちと寄り添って共にいる可能性を探る関わり合いに繋がっていると思います。それは、愛だと思うし、自分にとっての幸せなのです」
「多様性を大切にする」と私たちは言う。けれどもその多様性とは他者の、目に見える違いに着目してしまうことが多い。
「今の社会では、目の前の人と話すときに『あなたの性はストレートで、重い病気を抱えておらず、犯罪に手を染めたこともなければ、被害にあったこともなく、言語や身体の発達も人並みですよね』と言う無言の前提から人と関わっている気がしています。
性や病気でなくても、人は色んなことを抱えていて当たり前。『色々ありますよね』とか『多様性って大切ですよね』と言うなら本当に、相手のことを想像できる自分でいたい。
まだ、相手が「普通である」という前提を持たないと、どう関わったらいいのか分からない漠然とした不安があるのではないでしょうか。僕たちは、その前提を壊していきたいです」
私たち一人ひとりが持つ他者と関わる際の「漠然とした不安」
「他者との違いを大切にする」とは、自分の内側にあるその「漠然とした不安」に気づき、そこに向き合っていくことから始まるのかもしれない。
[ 取材:玄道・神 ]