変えるヒト、変わるヒト。-新しい社会貢献のカタチ-

「モチベーションリソース(原体験)」
桑原

ところで、僕らは全員平日の昼間は会社にいっているわけでしょ。結構立ち上げまではハードだったよね?途中でやめずに立ち上げまで続けられたのはどうして?それと、そもそも国際協力とか非営利組織とか社会貢献とか。こういうものに強い興味を持ってやろうと感じだしたのはどんな体験がもとになっているの?

後藤

う~ん。高校2年かな。沖縄修学旅行でガマに入ったんだよね。

玄道

ガマ?

後藤

天然の防空壕。
沖縄戦では多くの人がガマに避難し、数多くの悲劇が行われた場所。それまでは戦争は何か遠い感じがしていたんだよね。でも、当時を経験した1人のおばあちゃんの話を聞く機会があったんだ。それで変わった。その人から話を聞く中で、当時、ガマで必死に生きた1人1人のイメージが浮かんできた。今までは、戦争で100万人亡くなったって聞いてもピンとこなかった。でも、そのおばあちゃんみたいな人、そういう1人が100万人いたんだって思った瞬間にイメージができた。心から悲しみを感じたんだよね。自分が「痛み」を少しだけ想像できるようになったからこそ、国際協力活動に興味を持って、大学ではNGO(※2)に入った。

桑原

なるほど。痛みを想像する力ってなかなか普通に暮らしているともつことが難しいよね。

玄道

私の場合は、おばあちゃんがきっかけ。ちょっと変わってる「スーパーばあちゃん」だった。

後藤

スーパー??どんなおばあちゃん?(笑)

玄道

「これからは世界を見なさい。」ってよく言う人だった。おばあちゃんは、いろんな国に行ったことがあるのね。私は中学卒業したときに初めての海外旅行でイギリスにおばあちゃんと行ったんだよね。はじめての海外旅行。そこで国際分野に興味をもった。いろんな人達が生活をしてるんだっていうのを直に感じて、価値観が変わったんだよね。「先進国」は大量消費社会でしょ。でも、消費を軸に生活をしていない国もある。それで、もっと「途上国」を見なきゃって思ったんだけど、旅行で行くと見たい部分が見えなくて、「見させられる部分」が増えるし、つまらない。だから「途上国」の生活が感じたくてNGOに入った。そういう経験を通じて、就職活動のときにその分野で仕事をしたいって思ったな~。

桑原

僕の場合は、2つ。フィリピンでODA(※3)によって立てられた橋の下に、アバラ屋のスラム街がある事実を自分の目で見たこと。ビジネスで貧困を撲滅しようと取り組み、バングラデシュのグラミン銀行の活動を卒業論文に書いたこと。当時日本には、「社会起業」という概念はなかったと思うんだ。でも、大学生のときから利益は、必要なサービスを維持拡大するために必要であり追求すべきだと考えていたので、ビジネスで社会の課題を解決することに強い興味を持った。

※2【NGO】…NGO(Non-Governmental Organizations)は非政府組織と訳され、日本では主に国際協力活動などに携わる民間の非営利組織を指すことが多い。
※3【ODA】…ODA(Official Development Assistance)は「政府開発援助」と呼ばれ、途上国の経済開発や福祉の向上といった国際貢献を目的に、政府や政府関連機関が実施する援助や出資を指す。