変えるヒト、変わるヒト。-新しい社会貢献のカタチ-

株式会社ビオピオ取締役/クリエイティブディレクター 兼松 佳宏(かねまつ よしひろ)さん

1979年秋田県生まれ。大学卒業後、Web制作会社に2年半勤務。その間、アースデイマネー、BeGoodCafeなどのクリエイティブに携わる。その後、「クリック募金」などCSRのITコンサルティングを行う株式会社ディ・エフ・エフを経て、デザインとビジネスとサステナビリテイをつなぐクリエイティブ・エージェンシー、「Whynotnotice inc.」を2006年に立ち上げフリーランスとして独立。フリーランスでの初の仕事として持続可能な社会に向けてグッドアイデアを発信するWebマガジン「greenz.jp」のサイト立ち上げにデザイナーとして携わる。現在は「greenz.jp」を運営する株式会社ビオピオの取締役として、持続可能でクリエイティブな社会の実現のためクリエイティブディレクションやイベントプランニングを行う傍ら、執筆活動も行っている。

プロローグ

「スパイラルアップ」という言葉がある。同じところをぐるぐると周り進歩がないように見えて、実は螺旋のようにスパイラルを描きながら一周ごとに高みへと上昇している様を指す。

兼松の人生にはスパイラルアップという言葉がふさわしい。
自分をとことん追い込み仕事もした、身体を壊したこともあった、半うつ状態も経験した、幾度となく悩み自分の働き方と向き合った、それでも、クリエイティブの可能性を感じソーシャルな分野で活動を続けてきた。一歩一歩階段を昇ってきた。「僕が目指すのは、矛盾のない社会です。そして、今は社会を変えるために仕事をしています。」昼下がりの穏やかな日曜日の空気に合わせるような静かな声で、力強く兼松はこう語った。

がむしゃらに生きる

取締役を務めるビオピオでは、クリエイティブディレクターという肩書を持つ兼松だが、大学は意外にも文学部フランス文学科を卒業している。デザイナーという横文字の仕事に漠然と憧れていただけの彼をWebデザインの世界へ導いた現体験があった。当時を振り返り兼松はこう語る。

「E-mailで好きなデザイナーに連絡をとって、メールで返信がくる。地球の裏側の人とやり取りができたんですよ。今となっては当たり前ですが、人生観が変わるくらい強烈な体験でした。」

独学でデザインを勉強し、デザイナー仲間と技術・デザインを競い合いながら腕を磨いていった。アメリカのグラフィックデザイナーとコミュニケーションをとり、「君のWebサイトで使っている英語はほとんどデタラメだ。だけど、センスは良い。」と言われたこともあると言う。

そもそもは大学の教授がWebを活用した授業実施のためWebデザイナーを募集しており、そこでアルバイトを始めたのがクリエイティブキャリアの始まりだった。「大学時代は時給2,000円で企業サイトのデザインアルバイトをしたりして、仕送りも合わせれば今より稼いでいたかも(笑)分厚いビジュアルブックとか本をたくさん買っていました。」笑いながら兼松は語る。

卒業後、新卒で入社したのはベンチャーのWeb制作会社だった。仕事は365日、24時間するものだという空気の中で忙しさに追われる毎日だったが、1年目は社会に出た喜び、2年目はデザイナーとして腕を上げていく喜びを感じる充実した日々だった。しかし3年目、兼松は自分がやっていることの意味、仕事のやりがいについて悩み、考え始めた。この時期、無理がたたり体調を壊し、プシューと肺に穴があいてしまったのだ。

ソーシャルクリエイティブとの出会い

兼松の学生時代に少し話を戻すとしよう。彼にとって人生のターニングポイントになった出会いがある。
それは、特定非営利活動法人アースデイマネー・アソシエーション(以下、アースデイマネー)の1つのプロジェクトだったゴミ拾い活動「スカベンジャー」との出会い。参加するメンバーは、ブランド「FINAL HOME」のウェアを羽織り、ラジオを肩に担いでヒップホップを流しながら、ノリノリでゴミ拾いをしていた。クリエイティンブな感性がゴミ拾いに加わり、それまでの「ゴミ拾い」に対するイメージを大きく変える活動であった。

「それまでの僕は普通にポイ捨て上等という感じで、今思うととんでもないヤツでした。というより、街を汚すとかそういう尺度が自分の中になかったんです。それが渋谷駅前でゴミ拾いを一度してしまったが最後、捨てるのは楽だけど、こんなにもキレイにするが大変なのかと本気で身にしみました。」

心が入れ替わった瞬間だと兼松は振り返る。そして、彼が環境問題に興味を持ち始めたきっかけだった。

スカベンジャーでの体験は、同時に「ソーシャルクリエイティブ」という新しい考え方との出会いでもあった。ソーシャルな問題にクリエイティブが交わると、興味のない人を活動に巻き込んでいくことが出来る、何かを変えるきっかけを生みだすことが出来ると兼松が気付いた瞬間だった。

「自分を変えてくれたアースデイマネーには感謝していて、機会があればいつかまた関わりたいと思っていた。」そんな兼松のもとに、アースデイマネーがWebデザイナーを募集しているという情報が入った。Web制作会社で多忙を極める日々であったが、アースデイマネーのWebサイトリニューアルに携わった。

兼松は言う、「自分の仕事のやりがいを見つけられた瞬間です。」
その後、アースデイマネーに限らず、彼は「BeGood Cafe」や「MERRY PROJECT」など様々なソーシャルな活動にクリエイティブの力を活かし関わっていった。

10%のやりがいを100%へ

2004年秋、決断の時が訪れた。

Web制作会社に居ても、仕事以外の時間、例えば10%位を使ってソーシャルな活動に携わることは出来る。だが、体調を壊し迎えた入社3年目という時期、兼松は自分の仕事の意味を自問し始めていた。また、アースデイマネーなどソーシャルな活動を通じて得た仕事のやりがいや、ソーシャルな分野で幸せそうに働く周囲の人の存在が彼を後押しした。

「気持ち良いと感じる仕事を、10%ではなく100%にしたい。」
2年半働いたWeb制作会社から株式会社ディ・エフ・エフ(以下、DFF)への転職である。

「クリック募金」などCSRのITコンサルティングを行うDFFで、培ったクリエイティブのスキルを100%活かしていける。兼松はそう考えた。実際に、企業のCSR担当者やNPOの人に毎日会い、共に仕事をする環境。彼はやりたいこと、やるべきことに没頭し、充実した時間を過ごしていた。

しかし、成長するが故に、それまで見えなかったことが見えてくることがある。入社当時、CSRに取り組む企業は先進的な存在で、CSRと言えば全てが好意的に受け取られる風潮があった。だが、CSRが企業間に浸透してくると、グリーンウォッシュならぬCSRウォッシュとも言える状況が訪れた。CSRに取り組む姿勢は企業により大きく異なり、CSRを全て肯定的に受け入れることは出来なくなっていた。

そうした違和感が大きくなる中、兼松は次の転機を迎える。独立である。

独立、そして葛藤の日々

2006年、「Whynotnotice inc.」という活動名を掲げ、フリーランスとなった。同年7月にはフリーランスでの最初の仕事となった「greenz.jp」がサイトオープン。

兼松は当時をこう振り返る。「自分が納得できる仕事だけに関わろうと思った。なんでもやると言わなかったのが、今思うと逆に良かったんですね。自分はこれをやりたいと常に言っていたので、それに乗っかって下さる企業の方が多かったんです。自分はこれしかできませんという主張ですね。」

そして、フリーになったばかりの兼松に大きな仕事が舞い込んできた。某外資系大手IT企業による新製品のお披露目イベントで、クリエイターが集まるイベントのプランニングと司会を担当することになったのだ。人生でそれほどないかもしれない、大きなチャンス。イベント当日に向けて不眠不休とも言える仕事は無事成功を収めた。

「僕のキャリアの転換期でした。これがgreenz.jpに一番つながっているんです。」

考えて見れば変わったことだ。Webデザイナーが、イベントのプランニングを担ったのだ。

「違うステージに上がれたんです。それまでWebしかできないと思っていました。でも、『プランニング』という枠でなんでも出来るように自分の幅を広げて行こうと思いました。現在の名刺でも、WebだけのWebディレクターではないという意味を込めて、クリエイティブディレクターと名乗っています。」

greenz.jpで兼松は、Webはもちろん、イベントや映像のディレクションも担当している。

しかし、翌年2007年。独立してから順風満帆な日々を過ごしていた兼松は辛く苦しい、空白の一年を迎えることとなる。

「自分はWebだけやりたい訳ではない、でも周りはイベントもやったおもしろいWebデザイナーとしてしかみてくれなくて、Webの仕事しか来ない。結果、周りと自分が求めるもののミスマッチで半うつ状態になってしまったんです。色々なところからWebの仕事の声がかかればかかるほど、もう嫌だ、東京にはいられないと思ってしまう。悪循環でした。そこで、いっそ海外に逃げてみよう!とサンフランシスコやロンドンに行き、日本に帰ってからも、秋田の実家に一カ月間ひきこもっていました。」

本当に辛い時期だったと兼松は振り返る。そんな中でも立ち直ることが出来たのは、仲間の存在があったからだった。ソーシャルな分野の友人に連絡をすると、多くの人が同じような体験をしていたのだ。真面目で真っ直ぐであるからこそ、社会に偏在する違和感を感じ取り、それを解決しようと限界まで自分を追い込んでしまうのだろう。今のgreenz.jpにも、そんな自分の限界を知っている心強いメンバーが多いという。辛い経験の共有化が彼を励まし、そして周りにもWebだけをやりたいんじゃないと伝えていこうと決めた。

仕事を休んだ頃から半年後、東京に戻った兼松は荷物の4分の3を捨てたり、整理した。残った4分の1、本当に大切なものを見つめ直せたに違いない。

そしてサイト設立に関わったgreenz.jpのサイトリニューアルで仕事に復帰。デザインプロデュース会社での勤務を経て、2008年1月、greenz.jpの新しい運営母体となる株式会社ビオピオの設立に関わり、取締役に就任した。

矛盾を感じない社会の実現

greenz.jpでは、「ビジョン2020」を掲げ、持続可能でクリエイティブな社会を2020年までに作ることを目指している。例えば以下のような事項である。
・貧困も飢餓も、戦争もない世界。そのための軍隊そしてそれを負担する税金が必要ない世界。
・すべての人が愛にも食べものにも飢えることなく育ち、才能を開花させるチャンスがある世界。
・独占と強欲が勝ち組と負け組を分ける世界ではなく、共有と分かち合う気持ちに満たされた世界。

この会社のビジョンは、兼松個人が目指す「矛盾を感じない社会」にも通じている。

兼松自身、日々多くの違和感を抱き、矛盾に出会っている。なぜ毎朝満員電車に乗らなければいけないのか。なぜ同じ方向に進むのにタクシーの相乗りをすることが出来ないのか。その方が経済的にも環境的にも良いはずだ。

兼松はこう話す、「世の中は複雑だし、キレイ事だけじゃなく矛盾することはたくさんある。でもいのちに関わること、生きることについての矛盾はあってはならないと思うんです。そういう意味での矛盾を感じない社会の実現には、違和感を持った人それぞれが一つ一つ解決していくことから始まるのではないか。greenz.jpでは、違和感を解決するために使えるツールを紹介しながら、『あ、こうしたら生きていけるかも』と誰もが思えるような"心のセーフティネット"をデザインしていきたいのです。」

エピローグ

「良いことをやっていることを恥ずかしいと感じさせる空気。それが、去年一昨年から変わってきたと感じる。」インタビューの最後に兼松はこう切り出した。

それが顕著に表れた例が、2008年のアースデイ、いとうせいこう氏の「悪の衝動があるように、善の衝動もあるはずだ。」というメッセージだ。誰かを貶めてしまうのも人の本能だとしたら、人を助けたいというのもまた本能だという意味だ。

兼松は感じている。彼の目指す違和感や矛盾のない社会がゆっくり、だが確かに近づいてきていることを。

そして、兼松の夢には続きがある。
「僕が目指すのは、矛盾のない社会です。そして、今は社会を変えるために仕事をしています。でも本当のところ、それが終わったら田舎に引っ越して、一日中本を読み、小説を書いていたいんです。」

兼松の小説家という夢もまた実現に向けて近づいている。

兼松 佳宏さんから、あなたへのメッセージ

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greenz.jp(グリーンズ)
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[ 取材:後藤・桑原 撮影:前田 ]

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