変えるヒト、変わるヒト。-新しい社会貢献のカタチ-

山口県出身。1992年、中央大学法学部法律学科卒業後、NTTに入社。その後、マツダを経て、現在、富士通にてパソコンやスマートフォンのマーケティング業務に従事。
1997年から米国ペンシルバニア州のUniversity of Pittsburgh、Graduate School of Public and International Affairsへ留学し、NPOマネジメントや公共政策に関わる公共経営学修士号(Master of Public Administration)を取得。卒業後、ニュージャージー州のCenter for Social and Legal Researchにて、『Japan-U.S. Privacy and Personal Data Protection Program』のプログラム・コーディネーターに就任。日本のプライバシー・個人情報保護に関する法規制や政策等の調査・研究をはじめ、ファンドレイジング、ロビイング戦略推進、アライアンス提携、プライバシー・ポリシー策定などのコンサルティング、カンファレンス開催など、非営利セクターでの業務経験を持つ。
現在は、NPOマーケティング研究所の代表として、日本のNPOに向けてマーケティングの研修プログラムを提供する私塾「草莽塾」等を展開中。

00 プロローグ

新卒で入った会社を3年以内に辞める人は30%だとよく言われる。

「思い描いていた仕事じゃなかった」
「業務がきつすぎて続かなかった」

就職活動を経てようやく掴んだ、自分の社会での居場所と役割。
そこを辞めるという決断の裏には多くの想いが交錯しているものだ。

今から18年前。入社からきっかりと3年後の3月31日に長浜も会社を去った。
「自分の居場所はここではない、そうはっきり気づいてしまったのです。人生を1度リセットしたい、本当にそう思いましたね」

01 社会に出た。目標は、もう降ってこなかった

日本には受験や就職という、自動的に目標が与えられる社会システムがある。
中学の3年間で高校を選び、高校の3年間で大学を選び、大学の4年間では就職先を選ぶ。
言わば自分がやらなければならないことは、考えなくても降ってくる。
長浜も淡々と、学校を選び、会社を選び、毎日働いた。

「 『次、何をするのだっけ?』本当に、この一言につきます。会社に入ってからは、今まで3年周期位で半ば強制的に与えられていた目標が、もう降ってこなかった。社内には、現状に不満を持ちながらもそれを良しとしている人がたくさんいて、『将来こうはなりたくない』と漠然と思ってしまった。けれど、この会社で何がやりたくて、どうキャリアアップしていきたいかなんて、実はしっかり考えていなかったのです。自分の人生にきちんと向き合い、真剣に考えてこなかった」

当時は公共とコミュニケーションやネットワークという分野に興味があり、情報通信企業に入社した。
ただし、何となく興味があるというだけでは「その場所で何をすべきか」という明確なキャリアプランは描けない。
「次に何をしたい、という具体的な計画があったわけではありません。まず、この環境を断ち切って自分にムチを打とうと、それだけでした」

02 リセット

とにかく、次の道を探さなければならない。
元々外国で何かをしてみたいということ、公的分野で働きたいという考えから、1年程語学留学をして、地元の行政の国際部門などで働くか、それとも、国際公務員を目指してみるかなど漠然と考えていた。

「人に会って、情報を集めていたのですが、今後のキャリアを考えると『語学学校ではなくて、大学院で学位を取るくらいしないと』という声が多く、自分の性根を叩きなおす覚悟で会社を辞めているのだから、やはりそれ位はしなければと思い直しました」

TOEFLの本を買いに走り、約1年間半の勉強生活後、アメリカのピッツバーグ大学院へ進学を決める。
当時は湾岸戦争や、ベルリンの壁崩壊という時期で、国際問題を論じ、評価をする際に政治経済・民族・宗教など多面的な分析が必要だと言われ始めていた時代であった。
長浜は国際関係学を専攻し、勉強漬けの日々を送っていた。

03 凛として働く

どうにか大学院での初学期が終わり、長期休暇中、英語力の向上を目的にインターンシップを行った。
転機となる、NPOとの出会いだ。

「いやぁ、とにかくびっくりしました。アメリカではNPOというセクターが社会的に認知されており、ファンドレイザー、プログラムオフィサーなど立派な肩書きを持って働いている。
企業と対等に渡り歩き、ファンドレイザーも『今日は100万円とってくるから』と言ってオフィスを出て行ったりする。社会的な課題を解決するというビジョンを持ってそこで働く人たちは、とても自信を持って、凛としているように見えました」

日本では阪神大震災が起こり、それをきっかけにしてボランティアという言葉がようやく社会に認知されだした時代。NPOという言葉が少しずつ定着し始めた頃だ。

大学院があったピッツバーグはアンドリュー・カーネギーを輩出した地であり、鉄鋼業で有名だが、NPOの町としても知られているということをご存知だろうか。
1970年代、鉄鋼業界が引き起こした公害問題により町の人口が激減した。
当時、「ルネッサンス(復興)計画」という名のもと、町の立て直しを牽引したのは、企業でも、行政でもなく、市民(NPO)であった。

「インターン先で行っていた事業は、外部からピッツバーグへ訪れる人と内部の企業、行政、研究者の方々をマッチングさせる事業でした。まず、自分たちは特定のリソースを持たず、元々あるAとBをつなげてCという新しいものを生み出す、という発想に驚いた。こういう知恵と工夫で社会に新しい価値を提供する世界があるのだと。
そして、何よりも公的分野というと行政しか選択肢を考えていなかった自分にとって、NPOという選択肢はめちゃくちゃありだと思いました」

04 生涯のテーマ

NPOへの強い関心を持った長浜は、専攻をNPOマネジメントに変更。
卒業後もNPOで経験を積む為に、ニュージャージーの非営利の研究機関でコーディネートの仕事を2年経験した。

「NPOというフィールドでやっていくことは決めたけれど、どんな職種で行くべきか。働きながら考え続けた結果、『マーケティング』というキーワードに辿り着いた。大学院卒業時、留学していた日本人の中で仕事を得られたのは、自分だけだったのですが、その理由を考えると『いかに自分を売り込むのか』といった、まさにマーケティング施策を練るプロセスが好きだからではないか、と気づきました」

情報を集め、分析し、それを様々に解釈して、施策に落とし込み、自分の得たい結果を得る。
それは寄付者やボランティアなどの支援者を獲得する必要があるNPOの活動に通じるのではないだろうか。

「新卒で働いていた会社では、営業をしていました。毎月、売り上げ目標があったのですが、それも自分にとってはプレッシャーではなく、逆にいかにしてそれをクリアするかというプロセスが楽しく、挑戦しがいがある仕事だったと思い出したのです」

ここではなかったと思っていた場所で積んでいた経験ですら、後に振り返った時に1本の糸のようにつながることがある。
今の仕事、経験が自分にとってどんな意味を持つのか、渦中にいる時には気づくことが出来ないこともあるのだろう。

05 企業への出戻り

『NPOとマーケティング』という自分のテーマを定めた長浜の次の決断は、すぐに帰国して、再び企業で働くことだった。

「自分のテーマは決まった。今後は『マーケティング』をとことん学び、実践出来る環境に身を置きたい。そう考えた時に、日本のNPOですぐそれが出来るだろうかと考えた。答えは『NO』でしたね。
当時30歳過ぎたくらいでしたから、実務経験を積むために企業に入り直し、朝から晩までマーケティングの仕事をしようと思いました」

消費者向けのマーケティング業務に携われる会社で勤務を始め、文字通り馬車馬のように働いたという。
「この仕事をすれば、こんなスキルが身に付きそうだ。この仕事はNPOの活動に役立ちそうだ」そう思ったら他の人の仕事であっても自分から積極的に携わった。

「留学中に、とにかくゴールを明確にすることが成功に繋がるという、当たり前のことが骨身に沁みて理解できるようになったことが大きいです。アメリカでは言葉も上手く通じない中、現地の人と同じ成果が求められた。『自分はこれを学ばなければ、やらなければだめになる』という程の目的意識がなければ、経済学の授業を3時間英語で聞き続けるなんて、出来ませんよ。そんな環境を体験し、『マーケティングを極める』という明確な目標を得ていたので、もう企業で挫けることはありませんでした」

06 社会へのアウトプット

30代は企業に骨を埋めますとばかりに、働き詰めだった長浜は40代を目前に控え、目標通り、NPOへのコミットメントを深める準備を始めた。
アメリカのNPO業界の最新情報を発信するブログを開設。NPOのボランティアに参加し、その延長線上で、NPOが実施する研修の講師などを依頼されるようになっていく。

「40歳を見据えた時、勉強や企業で経験を積むというインプットばかりでなく、社会に具体的なアウトプットをして還元していかなければならないと思いました」

これからの人生はもっともっと社会に働きかけていくことにしよう。
そう決めた長浜は中間支援NPOと組んで、NPOへマーケティングサポートを行う長期研修プログラムを開発する。

「平日は仕事をしており、時間が限られるので、仕事を効率よく終わらせるなど、短い時間で最大のアウトプットを出す為の努力をしなければいけません。健康にも人一倍気遣うようになりました」

07 「成果」を出す組織へ

中間支援NPOと組んで実施をしていたマーケティングプログラムを4年間続けた後、2012年には「草莽塾」という私塾をスタートさせた。
個人でNPOのマーケティングのプログラムを実施することで、より柔軟に、よりコミットを深めた形となる。
企業で働きながらも、これ程までにNPOのサポートに力を捧げる情熱は、どこから来るのだろうか。

「ありきたりな言葉なのですが、やはり日本を良くしたいからですね。
ターゲットを定めるとか、自分の強みを見極めるとか、マーケティングを実践することのゴールは「成果」を得ることです。NPOでは誰よりも想いを持って活動している人は多いけれど、いいことをすることが尊いのではありません。社会が求める成果をだし、社会を変えていくことが尊いのだと、私は考えています」

08 エピローグ

「NPOとマーケティング」という明確な目標を持って40代までの人生を駆け抜けてきた。
常に、次に進むべき道を見定め、確実に実行してきた長浜はこれからの一手をどう考えているのだろう。

「『NPOとマーケティング』というテーマを日本社会の隅々にまで広げていきたいですね。今、最速でそれが達成できるやり方が何かを考えているところです。
そして、自分が求める社会を追求するのと同時に、社会が求める自分を磨いていきたいとも思っています。
『こんなことをやってもらえないか』とか『ここで話してもらえないか』とか、ある意味社会がどう自分を使ってくれるのか、ということに身を任せていきたい。その両者が出会うところが、自分の本当の居場所なのだと思います」

本業では、海外を含めた最新のマーケティング動向に触れながら仕事をし、時間外や休日はその経験をNPOへ還元する。長浜のような生き方をする人がもっと増えたら、日本社会はどうなっていくのだろうか。
かつて長浜が学んだピッツバーグのように、NPOが社会変革を担っていく未来が今、日本に近づいてきているのかもしれない。

長浜 洋二さんから、あなたへのメッセージ

・NPOマーケティング研究所
http://www.npomarketing.org/
・草莽塾(そうもうじゅく)
https://www.facebook.com/somojuku

[ 取材:玄道・後藤 ]

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